shigureinnのブログ

社会学を学べなかった私が倫理のおべんきょー

怠惰なぼっちとダイダラボッチって似てるよね(前半)

 四月に入り十日弱経ち、私も社会人として最初の一週間を終えたわけだが。そもそも先月大学を卒業したのに、その実感が全く湧かないのは一体どういうことなのだろう。学生証を返し、学位記を授与されていないからだろうか(学位記授与式を体調不良で欠席してまだ交換していないのだ)。それとも自分が大学(それも東京大学)を卒業するに値する勉学を怠ったからだろうか。両方とも、このなんとも言えないふわふわした気持ちと無関係ではないだろう。だけども、他にもいろんな理由が存在し、それらが複合的に重なっているというのが正しい気がする。個別の理由を挙げればキリがないし、それらを詳細に検討するつもりもないのでもう書かないけれど、ちょうど節目なことだし、大学生活を振り返って、大学時代良かったことと悪かったことについて書いてみようと思う。これから大学生になる人、特に東大に入る人の参考になればいいなと望んでいるが、これから書く内容はただの愚痴なので読む価値はそこまでないだろう。一応、書き手としては次のような認識を持っており、それを伝えようとしているものの強く主張するつもりはない(大きい主語で何かを主張すると、たちまちそれが発火点の低い可燃物と化す世の中なのでね! 私は火葬場まで燃えたくない)。


 さて(前置きが長くてもう読み飽きた方も大勢いらっしゃるだろうが、この文章は私の自己満足が最大の目的であるから読み手にそこまで忖度するつもりはないので、この後もこんな感じでだらだらと冗長的な文が続くと約束しておこう)私の共有したい認識とは、すなわち、


 東大の社会学専修は「怠惰なぼっち」には厳しい世界だよ……A


ということである。


 これは東大特有の事情が強く関係している。読者のほとんどはご存知だと思われるが念のため触れると、東大では三年次進学する学部が入学次に確定しておらず(推薦で入った方は異なるかも)、入学時の科類と一・二年の成績と本人の希望に応じて、卒業する学部学科が決まるシステムとなっている。よってAとは、言いかえれば、進学先の選択で文学部の社会学を選ぶと、あなたの性格によっては後悔することになりますよ、ということだ。


 私には、この文章を誰が読むのか見当もつかないが、もしかしたら読者の中には新入生の方もいるかもしれない。あなたたちはこの時期やる気があるはずだ。もちろん、受験勉強を頑張ったしもう遊びたいと思う人の存在を否定するつもりはない。ただ、二十四歳の老害が一言申し上げるならば、仮にやる気があったとしてもそれが持続する人はほんの一握りである。大学とは自由な世界であり、何を成し遂げたいか考えないでだらだらと過ごそうと思えばいくらでもそれが許される。私の経験では後期課程、つまり三年と四年の時はまさにそうだった。しかし、これはよろしくない。後悔するぞと言っておこう。これから書く内容はどれくらい一般化できるのかわからないが、あくまで個人の話であると断った上で大学生活を振り返る。参考にされたし。

 


 私は怠惰である。端的に言うと、労力から直ちに利益が導かれないのであれば、努力することができない人間である。しかし、悲しいかな、コツコツ努力した者が得するのが世の常で、私は損している。たとえば、英単語や世界の用語を暗記する作業は、私にとっては苦痛でしかないのでできなかった。理性ではそれが必要な行為だとわかっていても、これは義務としてはあまりにも消極的なもの(やらないと後で困るもの)なので、怠惰な私にはやる気が起きない。趣味のピアノでも、私は基礎的な練習をするのが非常に苦手で、三日坊主にすらなれない。私はナマケモモノなのだ。


 こんな人間には、大学という場は非常に危険な場所である。大抵のことはしなくてよいのだから、いくらでもサボることができる。結構ギリギリで入試を突破したからには入学後は真面目に勉学に励んで周りに追いつくぞと思っていた私が、半年でそんな気力を失うくらいには自由である。それでもまだこの時期はやる気があった方だ。


 一年の最初のセメスターは必修科目も多いので、そこそこやる気も出て勉強する。第二外国語や英語の重い授業があるので、ついていくのにそれなりに努力が求められる。課題もちょこちょこ出された気がする。今思えばこれは大変ありがたいことであった。課題がなければ勉強しないのだから! 昔から家で予習とか復習とかをする習慣がない私なので、大学でも当然ほぼしなかったのだが、課題を最低限やるだけでそれなりに力はつくものである。しかし、これは前期教養時代(一・二年のこと)だけで、学部後期(三・四年)からは課題があるようなハードな授業はあんまりなかった(取らなかったとも言う)。その理由は、後期になって専門的な授業が増え、あんまり興味だけで冒険して受講できなくなったからでもあるし、私がより面倒なことを回避する人間になったからでもある。前期は真面目だったのだ。その後の自分と比較してという但し書きが必要だけども。


 そこそこの勉強はそこそこの結果をもたらした。全科目の平均点は八十点をちょっと超えたくらいだった。良くはないけれど悪くない点数だった。しかし、これでは私が行きたい学科には行けなかった。


 私は昔、見田宗介氏の『社会学入門』を読んで社会学に興味を持っていた。だから、大学で社会学を学びたいと、文学部の社会学専修に行きやすい文科三類を受験した。しかし、入学後同じく社会学が学べるらしい後期教養学部の相関社会に行きたいと思った。駒場の方が楽だと思ったし、周りの人たちが強くて刺激を受けられると思ったからだ。とはいえ、当時は確か八十三点くらいなければ進学できなかったので、そこそこしか努力していない私には叶わない夢であった。まあ文学部の社会学に行ければいいやという思いもあったから、最低限の勉強しかしていなかった。至極当然因果応報みたいな感じ。ちょっと違うけど。


 ちなみに当時は追い出し制度がなかったので、一度悪い点を取るとほぼ詰むというクソ仕様だった。私の場合、必修の語学と準必修の心理で悪い点取ったのが響いた。総合科目(自由に取れるやつ)は興味あるのを取ったので、一夜漬けでも結構良かったのだが。
 
 とまあ、授業には一応行っているものの試験の直前だけ勉強するゆるゆる生活をしていたら、八十点ちょいしか取れず、文学部の社会学専修課程に行くことになったとさ(後半へ続く)。