shigureinnのブログ

社会学を学べなかった私が倫理のおべんきょー

怠惰なぼっちとダイダラボッチって似てるよね(後編)(下書き)

 後半ということで、主に後期課程について書こうと思う。

 ただ何を書きたいか考えてから書いていないので、あとで加筆修正盛りだくさんになる予定。

 前半部分を読んでいない方はこちらから怠惰なぼっちとダイダラボッチって似てるよね(前半) - shigureinnのブログ

 


 まずは、駒場で先取りする科目について。

 正式に後期課程に進む前に、駒場で開講される科目や二年なのに本郷で受けなくてはいけない授業が存在する。社会学専修は必修が少ない(体感)上に、単位取るだけなら大したことはない学科だろう。基礎統計やったことある人なら統計を扱う社会調査も余裕だし、概論の授業も一限に出席さえできれば大丈夫だと思う。私なんか一番前とかでも平気でほぼ寝てましたが単位来たので(なお良)。ただ一つ面倒なのがあって、それは、概論の授業時間外に行うのにもかかわらず概論の単位取るのに必須なTAセミナーだ。これは「プロ倫」や「自殺論」などの読書会みたいなもんだが、大変ではあるものの真面目に古典を読むことができる貴重な機会なので、私にとっては数少ない社会学専修で満足している部分でもある。ペースが速いので、ついていくにはちゃんと読書時間を確保して課題本を読む必要があるが、東大生ならその点は心配いらないだろう。私ちょっと読めてない時もあったけどどうにかなったし(怠惰ですねえ)。ちなみに課題本は上記二冊がおそらく毎年固定だと思われ、追加で大体一冊読むことになる。私の時はハーバーマスの「公共性の構造転換」を読んだ。いいチョイスだった。

 


 話がそれるが、私は駒場時代、前期教養では特に取る必要性はない展開科目で社会学のものを取ったのだが、そこではもう退職された先生と二人の仲間とともにコントやボルタンスキを読んだ。前者はかなり昔の本のはずなのに、これがなかなか現代に通じる示唆を含んでいて面白かった。この体験が楽しかったので、社会学専修を選んだのだが。

 


 さてさて、話を戻そう。いよいよ本題だ。これから私にとっていかにこの学科が糞だったかを書き連ねるだけなので、言いたいことある方もいるかもしれない。言いたいことがある人がもしいたら、マナーを守った上でコメントをどうぞ。なお、私のメンタルはプリンくらい弱いので、誹謗中傷でなくても私が不快なものがあれば、最悪記事を削除する可能性があることを断っておく。逆に言えば削除して欲しければ暴言を吐くと良いかもしれないが、良識ある人ならばもっと賢いやり方を取ってくれると信じている。では。

 


 私がダメだと思う点、その一。

 「社会学特殊講義」が卒業するのに十二単位(記憶違いがあるかもしれない)も必要なのに全然面白いのがない。怠惰な私が探すのが下手だったのかもしれないし、私の関心のある分野が狭かったのかもしれないが。気になる方は東大授業カタログからシラバスを検索されると良いと思う。「社会学特殊講義」で検索されるものが、あなたの期待したものだろうか? 特に進学先で社会学を考えている人は、このラインナップを見ていきたいと思うかもう一度確認してほしい。これしか学べないと思った方がいい。自主的に勉強したり、教員にどんどん質問したりして賢くなっちゃう勤勉な人には無用なことだが、私みたいに怠惰な人間には、「え、ここで学べるのこれしかないの?」とかなりがっかりする内容だったことを強調しておきたい。もっとバウマンとかジンメルとか勉強できると思ってた、残念。〇〇社会学みたいなものって興味ないものは本当につまらないし、同じ社会学研究室でも先生によってやっている領域が全然違うので、全部は好きになれないの。

 


 とはいえ。私にも問題はあった。たとえば、アルバイトのために五限の授業をなるべく入れないようにしていたの(ので、必然的に履修可能な科目が限定されていた)は、勤勉な学生のすることではない。でも、言い訳させてほしい。サークル活動や外食代、定期外の交通費を払うのにアルバイトは必要不可欠だ。親は授業料を負担し、携帯電話代を払ってくれ、実家だから衣食住も問題ない。それに、昼飯代も教科書代も定期代も親持ちだ。これ以上何を望むのかと言われるのは一億くらいは承知している。しかし、大学生が趣味で何かを買おうとしたり旅行したりするのに加え、サークル活動まで入ってくると結構懐事情は厳しくなる。進捗のお供「魔剤」もなかなかいい値段するし。あと、テスト前に参考書を買うと、それでお金が結構飛んでいった。大抵の授業は話すスピードが遅すぎて眠いので、テスト前日にレジュメに従って参考書を読むわけだが、教科書以外にもなんか買うと割と財布がダイエットする。というわけで、後期の二年間はかなりアルバイトしていた気がする。前期教養時代より取得単位が多いのに、後期の方が稼ぐ金額多かったし、そのおかげかお金がないというストレスはほとんど感じなくなった。逆に言えば、前期課程はお金がなさすぎて少しの出費も気にしてストレス溜まりまくりだったのだが(その分好きな授業が多くて楽しかったが)。

 社会学特殊講義以外にも、バイトのせいで履修を諦めた科目もある。社会調査士取るための授業も取れなかったが、これもまさに私の選択の結果である。バイトを辞めようと思えば辞められたのだから、大学の授業の優先順位を下げた私の問題なのだ。(余談だが、昼飯代を学食パスを通して支給されていたので、昼食を抜いて懐にお金を残す作戦は使えなかった。できたら間違いなくやっていたのに。)

 


 要するに、お金欲しくてバイトすると、そのために取れる授業がゴミだったということ。

 前期教養の人は、進学先を考える上で、実際にどんな授業があるかは確認しておこう。

 


 私が不満を持つ点、その二。

 ゼミについて。これは私の所属していたゼミだけなのかもしれないが、存在意義がワケワカメ、とにかく不明だった。ゼミに所属しないと卒業できないので、少ない候補から仕方なく取るわけだが、二年間かけてやった内容が残念であった。ガイダンスでは英語の文献読むとか言ってたのに、実際にやったのは社会学の入門レベルの本の読書会でしたね? それと、四年生の卒論の構想や進捗の発表会がゼミのメインであったが、前者は一体誰得なのだろう? 私は大学の授業では、自分一人ではできないことを学べるのではと期待していた(今もそうである)。こんな本一時間で読めるのにと思いつつ、そんなにいい出来でないツッコミどころの多い本を読んで、みんなでそれについて突っ込むなんて、私にはそんなに価値あることだとは思えない。Twitterでやれそうだし。あと社会学専修では三年次にゼミ論という二万文字くらいの論文(レポートみたいなもん?)を書かなくてはならないが、それについての発表は三年次のゼミ合宿一回だけでその後のフォローはなかった。さらに私の教官がゼミ論について提出アナウンスを忘れたため、私がゼミ論を提出する必要はなくなりました。ゼミではゼミ論とは別に課される課題が別にあったのでそれを提出することでゼミの単位はちゃんと回収しましたが、ゼミ論の立ち位置がわかりませんでしたねえ。これが卒論につながるはずなので、この時点で私は損しました。どうやら書いて出した人もいたらしいけど、フィードバックはあったのだろうか。ほとんどのメールに返信が来なかったので、私は連絡をする気も失せてしまったけど。

 


 これは本筋とは関係ないのだが。私は当初卒論でデータを分析しようと思っていたのだが、学部生というのはデータにアクセスする権限がないので先生に頼まなくてはいけないのである。そこで神経をすり減らしながらも紆余曲折を経て頼んだはずなのだが、データは私のもとになぜか送られて来なかった。なのに、先方にはデータ利用の申請したはずなのに使わなかったと思われてそうなの、解せぬ。私に落ち度あるのかな。これのせいもあって、私の夏前における卒論の進捗は、もともとあんまりなかったけどゼロになりました。秋からテーマが倫理に寄ってくのは、このデータが使えなかったのが大きい。

 

 

 

 改元前に〆たいのでとりあえずまとめる気ないけどまとめる。

 大学って放任主義だし、無責任だ。これは完全に個人の感想なので、もしかしたら私の認識がおかしい可能性がある。だが、卒論を書くのにに必要なことはほぼほぼ全て独学で身につけなくてはならない。もちろん、先行研究として扱う論文を自分で読まなくてはいけないのは重々承知なのでそこに不満はnothingなのだが、だとしても必修の授業とっても全然社会学わからないよね? 前にも書いたが、カリキュラムが微妙な気がする。もっと最先端の社会学に触れられる機会ってなかったのか。私が怠惰で調べ方が足りなかったり、行動力が足りなかったりしたのか。あるいは学科の人とあまりにも疎遠すぎて重要情報を逃していたのか。もう真相は不明だが、別にこの内容なら「十時間で学べる社会学」で本当に足りてしまう。著者が東大の先生で授業の内容と酷似してるし。仮に怠惰な私に責があるとして(充分ありうる)、だとしてもこれをやれみたいな道筋を示して欲しかったというのはある。これを読め、これをやれとかでも良いのだが、そう言ったものが何もなく、いきなりぽーんと学問の世界の入り口付近に放り出され、就活が終わったかと思えば卒論を付け焼き刃で書かかされ、卒論発表会で「これは論文の作法を守っていません」とだけ言われ、観測しうる人がみんな卒論で優をとる中一人だけ可を取ってしまうのは、ちょっと悲しい(それまで不可なしで可も6単位しかなかったのにね、卒論のせいで可が合計18単位になってしまったよ)。授業料払った親もかわいそうだ。確かに実質一ヶ月で書いた私の卒論の出来は悪いと思うが、そこに指導不足は1%くらいあってもいいんじゃないんですかっていうのが、今回ブログ書いたきっかけ。改元前に一回締めたかったので、とりあえずこの状態で上げて、あとで修正します。

 


 学位記、平日しか開室していない研究室にどうやって取りに行けば良いのだろうか。